2021年07月10日

現代版・不幸の手紙

 昔、「不幸の手紙」というのがあったそうです。この手紙を○○人に送らないと、不幸が起こるというものです。私は受け取ったことがありませんが、「ドラえもん」にもエピソードが載っていたくらいなので、当時の小学生のあいだでは有名だったのでしょう。
 役所に勤めていた頃も、いま継続か廃止かで揺れている「FAX」で、県庁から似たようなものが届きました。「当て逃げする車」について、なにわ●●−●●とかいくつかナンバーのリストが掲載されており、そちらでもご注意くださいというものでしたが、これも後で知りましたが、完全にガセ(作り話)であったようです。役所もだまされます。もしかしたらその発信元が県庁になっていたのも、ガセだったのかもしれません。
 最近、こんなメールが届きました。同じようなものが届いてビットコインを送ってしまう方がいるかもしれませんので、挙げておきます。もっとも、ビットコインなるものはどこで手に入るのかもわかりませんが。
こんにちは、こんにちは。
まず自己紹介させてください。
私はプロのプログラマーで、自由時間にハッカー侵入に特化しています。
不幸にも、あなたは私の次の被害者になって、私はあなたのOSとデバイスにハッキングしました。
私は数ヶ月間あなたを観察していた。簡単に言うと、あなたが好きなサイトにアクセスした時、あなたのデバイスは私のウイルスに感染した。
このような状況に詳しくない人もいるので、現状をもっと詳しく説明します。
トロイの木馬を通じて、私はあなたの設備への全面的なアクセスと制御を得ました。したがって、画面上のすべてのコンテンツを表示してアクセスし、知らないうちにカメラやマイクをオン/オフし、他の様々なことをすることができます。
さらに、私たちはあなたのソーシャルネットワークおよびデバイスのすべての連絡先にアクセスしました。
なぜ今までアンチウイルスソフトは悪意のあるソフトウェアを検出していなかったのだろうかと思います。
実は、私のスパイソフトは特別なドライバを使って、よく署名を書き直しているので、あなたのウィルス対策ソフトは捕まっていません。
スクリーンの左側にあります。私たちはあなたの個人的な猥褻ビデオを記録して、右側にあなたが閲覧したいくつかの不良記録を記録するビデオクリップを作成しました!(宗教、未成年ポルノ、援助情報などを含む)。
マウスを数回クリックするだけで、連絡先やソーシャルメディアのすべての友達に転送することができます。これらのプライバシーをあなたの企業の同僚やリーダーに簡単に送信することもできますが、これらのビデオやあなたのいくつかの個人情報を公開アクセスのオンラインプラットフォームにアップロードすれば、驚くかもしれません。私はこれがあなたの仕事と生活に大きな影響を及ぼすと思う!
良いニュースは、まだ抑制されることができるということだ。17万円のビットコインを私のBTC財布に振り込めば阻止できる(どうすればいいのかわからない人は,オンライン検索により,段階ごとの方法を説明する記事が多く発見されるはずである).。
私のビットコイン財布(BTC Wallet):13To5LAGUpu66ReT8BV7mze41chgyfii1J
あなたの預金を確認したら、私はすべての猥褻ビデオとあなたの個人情報を削除して、これ以上連絡しないことを保証します。
この支払い完了には48時間(ちょうど2日)の猶予がある.。
この電子メールを開くと、自動的に読書通知が送られてきて、タイマーが自動的にカウントを開始します。
私のメールに返信してみないでください。
(送信元の電子メールアドレスは自動的に作成され、オンラインで取得されているので、何の変化もありません)。
どこでも苦情や報告をしないでください。
私の個人情報と私のビットコインアドレスはブロックチェーンシステムの一部として暗号化されている。
病気にならないようにいろいろなことを研究してきました。
私たちがこの電子メールを誰かに転送しようとしていることを発見したら、私たちはあなたの猥褻ビデオと個人的な情報を公開します。
理性的に考えて、これ以上愚かな真似をしないでください。
私は一歩一歩理解しやすい説明をするつもりだ。
あなたが今しなければならないことは私の指示に従って、このような不快な状況から抜け出すことです。
ありがとうございました。
ご幸運を祈ります。


ブロックチェーンを勉強する前に、日本語を勉強するか、より見破られないような翻訳システムを勉強したらよいのに、と思います。送信者のアドレスは、中国(cn)からでした。プロのハッカーにしては、直行便すぎますが、「ご幸運を祈ります」という最後のことばに、ちょっとほっこりしました。


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posted by pastor at 19:26| Comment(0) | 日記

2021年03月26日

敬和学園大学の卒業式

 私は10年くらい前から、母校である敬和学園大学の同窓会長を務めており、毎年、卒業式のときには5分程度の挨拶をすることが恒例となっている。
今日は27期生(私は1期生)の卒業式が開催された。
いつのまにか卒業生の父親のような年齢になっていたことがアンビリバボーである。
敬和学園大学は、新発田市と聖籠町の境界線に建っており、入学式は新発田市文化会館、卒業式は聖籠町民会館での開催がお約束になっている。
しかし昨年および今年は、新型コロナウイルスの感染を防ぐため、これらの式典は大学の体育館にて、人数制限・マスク着用での開催となった。
「讃美歌・校歌は感染防止のため心の中で歌ってください」
「卒業生は壇上に上がらず、名前を読み上げられたら起立してください」。
仕方がないこととはいえ、制限を加えるアナウンスが痛い。
卒業生も親御さんも、せっかくの晴れ舞台がこのような形になることは、予測されたとはいえ、やはり残念であろう。

 そんな中で、今年の卒業生代表である女子学生が、壇上で答辞をされた。
それは卒業生の式辞としてはあまりにも生々しいものであった。
大学で経験した心の傷、孤独、そして友情への気づき・・・、彼女はその式辞を読み上げながら、途中で肩を震わせ、嗚咽した。
代表に選ばれるような優秀な学生であり、ここまで吐露せずとも、「卒業式にふさわしい」文章を用意することはできたはずである。
しかし大学側が用意した原稿を読み上げるだけの卒業式も少なくない中で、彼女は自分の心を正直に告白することを選んだ。
おそらく準備の時にも、読み上げている時にも、大きな葛藤があったであろう。
だが大学とは「切れば血が出る」、生身の人間の集まりなのだ、ということが改めて心に迫ってきた。
彼女だけでなく、124名の卒業生一人ひとりの中にある答辞も聞いてみたい、と心から思った。
また事前にこの原稿を確認し、それを認めた大学当局に対しても、私は喝采を贈りたい。
これこそがキリスト教主義大学の理想とする卒業式だと思う。ここには自由がある。

 その後、同窓会長として私が壇上に立ち、25年前に初代学長が語った言葉を卒業生たちに紹介した。
それは「敬和学園大学は、入学のハードルは低くても卒業のハードルは高い」というものである。

 当時、私は現役の学生であったが、新聞か雑誌(財界にいがた?)に「敬和学園大学は、新潟県の出願者に対して、合格点に下駄を履かせた」と報道されたことがあった。
それが報道されたすぐ翌週のチャペルで、学長が以下のようなことを話されたことが記憶に残っている。

「下駄を履かせるという言葉は、私の最も憎む言葉である。一人でも多くの青年に敬和の教育を享受してもらいたいという思いが伝わらなかったことは残念である。だがはっきり言っておくが、入学基準は他の国公立大学に比して低いとしても、卒業基準ははるかに高くするつもりである。確信をもって世に送り出すことのできる人材でなければ、卒業させない。それが敬和の教育だ」


この言葉そのものについては時間の都合で紹介することはなかったが、それを踏まえて私もこのようなエールを贈らせていただいた。

「だからみなさんは、この敬和を卒業するに足る者と認められたことに誇りを持ってほしい。それは学力のみならず、人間力をはじめ、あらゆる点においてこの世界が必要とし、また貢献できる人材だということが公に認められて、送り出されていくということなのだから」。


 帰り道、現在の山田耕太学長が式辞の冒頭で語っていた「ユリノキ」を見に行った。
今年の卒業生たちが四年前の春に入学記念として植樹したというものである。
ユリノキは成長が早いとはいえ、たった四年ではまだ幹も細く、植樹したばかりという印象である。
しかしそのすぐ近くに「2012年度入学植樹」というプレートが付いた、やはりユリノキがあった。
たった5年でこれほど違うのかと思うほど、太い幹だった。
今年の卒業生たちも、これからの5年間でもっと太く、もっと高く、成長していくのだろう。

同窓会長は活動費も交通費も一切出ないので、なかなかなり手がないが、こんな貴重な経験ができる特権もある。

posted by pastor at 21:43| Comment(0) | 日記

2021年03月13日

イエスはいつ十字架にかけられたのか

 3/7の礼拝説教「ペテロとピラト」にて、イエスの裁判における背景に、セイヤヌスの失脚があるのではないかと語った。セイヤヌスの父も前帝アウグストゥスの信頼を受けた親衛隊長であったとされ、セイヤヌスも青年時代からティベリウス帝と懇意であった。しかし権力欲にまみれたセイヤヌスは、誠実な右腕を装いながら、ティベリウスの実子をはじめ皇位継承者を次々と駆逐、あるいは籠絡していった。
 ピラトが第五代ユダヤ総督に就任したのは紀元26年。当時、セイヤヌスは飛ぶ鳥を落とす勢いで皇帝の側近として君臨していた。セイヤヌスがピラトを目にかけていたか、それともピラトが出世のためにセイヤヌスの一派に所属していたのかは想像の域を出ないが、少なくとも彼らは同じ騎士階級としての利害は一致していただろう。ピラトが赴任当初から、ローマの中央集権主義をユダヤ属州に持ち込んだのは、当時すでに皇帝に対して相当の政治的影響を持っていたセイヤヌスに配慮してのものであったことは想像に難くない。
 しかし紀元29年頃から、ティベリウス帝はセイヤヌスの忠誠心に疑いを抱くようになったらしい。だがセイヤヌスの情報収集力を誰よりも評価していた皇帝は決して自らの疑心をセイヤヌスに悟らせることをしなかった。そして紀元31年10月、表向きはセイヤヌスを元老院にて表彰するという名目でおびき出し、電光石火の勢いで誅殺した。セイヤヌスの家族親族はもとより、セイヤヌスから政治的恩恵を得るために近づいていた官僚や議員に至るまで粛正が及んだと言われる。そしてもともと寡黙であったティベリウスはこの事件以来、ますます疑心暗鬼の傾向が強くなり、後のカリギュラやネロに繋がるローマの暗愚政治が行われていく。

 ルカ福音書は、異邦人に向けて書かれた福音書であるが、その24章に及ぶ内容は必ずしも時系列ごとに均等に描かれているわけではなく、イエスの最後の半年間(エルサレムへの旅)に多くの分量が割かれ、しかもかなり早期に始まる(9章)。そしてその流れのなかで、13章にはピラトの残虐な政治ぶりが報告されている。ところがその時期からわずか半年後のイエスの裁判では、ピラトがイエスに対しては誠実、ユダヤ人に対しては柔弱という姿が描かれ、読者を混乱させる。
 しかしもし紀元31年10月のセイヤヌスの粛正以降、常に自らの行動を皇帝から注視されていると感じていたピラトのもとに、翌32年3月の過越祭りの直前にイエスの裁判が持ち込まれたと仮定すると、わずか半年前の高圧的な政治がなりを潜め、ピラトがユダヤ人にもイエスにも双方に配慮しているという豹変ぶりにも説得力が出てくるのである。

 では、イエスが十字架にかけられたのが紀元32年の過越であるという可能性は、年代的に可能であろうか。結論から言えば可能である。イエスの誕生年は、紀元前4年〜6年のあいだでほぼ確定している。なぜなら、ヘロデ大王の死が紀元前4年であり、東方の博士たちの来訪記事(マタイ2章)によれば、イエスの誕生はヘロデがまだ生きていた紀元前4年、あるいはベツレヘムの二歳以下の嬰児を虐殺したとあることから、紀元前6年までということになる。
 また「この神殿は建てるのに46年かかった」というユダヤ人たちの言葉が、ヨハネ福音書のごく早期(2章20節)に記録されていることも参考になるかもしれない。実際のヘロデの神殿建築は紀元前18年〜20年頃とされるので、この発言があったのはだいたい紀元26〜28年頃となる。ただしこの「46年」という数字そのものはイエスの反対者たちの言葉であるため、年代を正確に特定できる論拠となるかどうかは疑わしい。
 紀元前4〜6年にイエスが生まれたとすれば、30歳の公生涯がスタートした年代は単純計算すると紀元23〜27年頃になるだろうか。そうなると、3年半の公生涯が終わるのが紀元32年というのは無理な解釈に思われる。しかしじつは「30歳」というのはルカしか書いておらず(ルカ3:23)、しかも表現は「およそ30歳」である。きっかり30歳というよりも、レビ人たちが奉仕者として認められる年齢(民数記4章)や、ヨセフが総理大臣、ダビデが王になった年齢といった旧約の記録と重ねながら30歳と言われているのかもしれない。そうなると公生涯に出たのは30歳よりも一、二年遅れてという可能性も排除できず、紀元32年の過越祭のときにイエスは十字架につけられたという解釈もあながち無理なものではない。

 ピラトは紀元36年、サマリヤ人に対する高圧的施策によって彼らの反感を買い、ユダヤ属州の上部にあたるシリア総督府への嘆願によって罷免された。ピラトはローマに赴いて皇帝ティベリウスに直訴するように命じられたが、数か月後にローマに到着したときにはすでに皇帝は崩御した後であったという。後の時代に初代教父エウセビウスによって編まれた『教会史』によれば、ピラトはイエスを十字架につけたことを改悛する手紙をローマ本国に送ったとも言われているが、残念ながら信憑性は低い。歴史資料として信頼に足るヨセフォスやタキトゥスの記録を総合すると、イエスが実在しピラトの治世のなかで十字架刑に処せられたことは証言されているが、それ以上のことは不明である。そしてユダヤ総督を解任された後のピラトについても同様である。東方コプト派などでは、ピラトが信仰に入り、さらに聖人ともされているそうだが、一方でスイスでは、ピラトが怨霊となったあげく、今も後悔の叫び声を上げながら、汚れた手を洗い続けているというピラトゥス山の伝説も残っている。

posted by pastor at 21:42| Comment(0) | 歴史